昨夜は、体調が悪くて創作活動のことでの悩みをずっと友人に話していました。自分の作品は、その中にドラマティックな展開はあっても、訴えたいことがないのではないか?それはこれまで10何年間か時には独学で、時には、師事を仰いでドラマの型を学んできたことから感じたことでした。もしかしたら、それが世間では本物と呼ばれる作家の作品なのかも知れないと思ったのです。型のない訴ええたいものだけがある小説は、読者にとっては、面白味のない物語なのかも知れないと思ったのです。エンターテイメントの社会の中では、生産性が求められるからです。それは僕の妄想なだけだと思ったりもしました。しかし、それは僕一人の妄想だけではなくて、社会の当たり前の、学校では教えてくれない常識なのではないかと思うのです。友人は僕の話に僕が話している最中、ずっと付き合ってくれました。僕にどうやったらいいかのアドバイスも与えてくれました。もう一度、コンクールに作品を送ってみては?とも言われました。大きなコンクールで大賞のひとつでも獲れば、すぐに知名度のある作家になれるのではないかと友人は言うのです。だけど、近年の作品は出版社の多くが困窮している中、その評価基準も変わっていっているのではないかと僕は、考えるのです。只の言い訳かも知れません。またこうも考えます。こうやって悩んでいることを執筆に活かすのも、作家の役目だとも思うのです。だけれど、結局は僕は認知度も作家性もないだけのただのナマクラ作家なのかも知れないとも思いました。「売れているのは、氷山の一角」、といつも言われ続けていたことを、改めて思ったのです。本物になるためには、何をすればいいのか、「良い作品を書くことこそ、本物の作家への近道」と教えられたこともありました。だけど、周りから評価されて、尚且つ売れる作家になるためには、今のままじゃいけないような気もします。多分、こんなことを人に話してしまうのは、体調が悪いせいなのでしょう。だから僕は統合失調諸症作家なのです。
創作の悩みと統合失調症。
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