『カタルシス』(著:逢坂 純)は、人間ドラマを深く味わいたい人にこそ読んでほしい、痛みと再生を描いた力作です。
物語の中心は、梢浩之と祥子の夫婦、そして高校生の娘・みなみの家族です。
会社倒産による借金と離婚でバラバラになった家族が、それぞれに孤独と絶望を抱えながら生きています。
浩之は現実逃避のため個室ビデオ店に通い、虚しい快楽に溺れる。祥子は離婚後の感情の麻痺の中で、偶然出会った男に心を揺さぶられる。
みなみは学校の噂や憧れの教師との出来事をきっかけに、心を閉ざし、夜の街へ足を踏み入れる。
そこに現れるのが、元部下の斎藤祐樹とその恋人・香という存在。斎藤は屈託のない笑顔の裏に、他人を巻き込む危うい魅力を持ち、香は「好きだから」という一心で異常な関係を受け入れ続けます。
セックスシーンは決して軽いエロティシズムではなく、肉体を通じてしかつながれない心の渇望、愛と依存の境界、自分を壊しながら誰かにすがる姿を赤裸々に描いています。
官能的な描写の奥に、登場人物たちの「どうしようもない孤独」と「誰かに愛されたい」という叫びが響き渡ります。なぜ「人間ドラマ」好きに刺さるのか。
誰もが壊れている完璧な人間など一人も登場しません。
優等生の女子高生、元社長の夫、献身的な妻、明るい元部下――皆が心のどこかに深い傷や歪みを抱え、必死に生きています。その「普通の壊れ方」が、読む人の胸に痛いほど刺さります。
離婚、借金、家族の喪失、思春期の揺らぎ、依存的な恋愛……どれも身近にあり得る出来事として描かれています。綺麗事や理想論は一切なく、登場人物たちが下手くそに、惨めに、でも必死に「つながり」を求め続ける姿がリアルです。
タイトル通り、物語は激しい感情のぶつかり合いと肉体の交わりを経て、本物の愛にたどり着こうとします。セックスは手段であり、登場人物たちが「錯覚の快楽」から「本物の絆」へ目を向けていく過程が、読後感として強い余韻を残します。誰もが救われるわけではないけれど、それでも光へ向かおうとする人間の姿が胸を打ちます。
逢坂 純さんはご自身が統合失調症当事者として執筆されており、「誰もが壊れている、それでも光へ」というメッセージが作品の根底に流れています。日活ロマンポルノの脚本として始まった物語が、エンターテイメント文学として昇華された一冊です。痛くて、切なくて、でもどこか優しい――そんな人間ドラマを求めているなら、ぜひ手に取ってみてください。読んだ後、心のどこかが少しだけ浄化されるような、静かなカタルシスを感じられるはずです。
(Kindle版あり。官能的な描写を含むため、内容を理解した上でお読みください。)
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