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逢坂 純著障害文学小説『おしまいの翌日』統合失調症の内側から描く、現実溶 解の恐怖。

統合失調症という病気を抱えながらも、執筆を続ける当事者作家が描いた、静かで重い短編小説。

現実と妄想の境が溶けていく恐怖を、フィクションの形を借りて丁寧に紡ぎ出している。

主人公・嬉野鉄平は、かつて統合失調症の急性期を経験した当事者。

現在は回復途上にあり、ピアスタッフとして相談支援事務所で働いている。

自分が受けた支援を、今度は自分が提供する側に立った喜びを感じながら、担当となった斎藤真申という青年の支援に携わる。

斎藤は強い被害妄想を抱え、「エム」という謎の組織に脳を覗かれていると信じ、毎日の空のスケッチを描く習慣を持っていた。

しかし、ある日突然姿を消す。

訪問看護師の証言から、斎藤が「4月1日、世界のすべてが嘘になる」と予言めいた言葉を残していたことが判明。

エイプリルフールが迫る中、嬉野と同僚の睦は斎藤を探し始める。

部屋の壁に刻まれた不気味な文字、斎藤の逃走劇、そして周囲の人々が次第に嬉野の存在を忘れていく異常事態。

家族の記憶からも、職場の記録からも、嬉野の痕跡が消えていく。

斎藤の母校の卒業アルバムにさえ彼の姿はなく、謎の人物・万城目が「この世は大きな舞台、誰もが演者」と語る。

嬉野は、自分自身が「消されていく」恐怖に苛まれる。

物語は現実と妄想の狭間で揺れ、最後にすべてが「嘘」だったと明かされる。

しかし、その結末がもたらすのは安堵ではなく、病気の根深い不確かさへの問いかけだ。

離人症、被害妄想、させられ体験といった症状の生々しさを、読者に直接突きつける。

著者は、統合失調症当事者としてこの作品を書いている。

支援を受ける側から支援する側へ移る難しさ、当事者同士の共感の脆さ、信頼関係の儚さを、静かに描き出す。

読後には「精神疾患とは何か」「支援とは何か」を改めて考えさせられる。

統合失調症を「怖い病気」「理解しにくい病気」と遠ざけがちな人へ。

この物語は、そんな病気がもたらす孤独と、世界の見え方の変化を、決してセンセーショナルにせず、しかし逃げずに描いている。
当事者の内側を知りたい方、精神疾患について真剣に考えたい方に、ぜひ手に取ってほしい一冊です。

逢坂 純著『おしまいの翌日』

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