その企業は飲食店で、女性が多い職場だった。
店長と副店長は、僕よりもちょっと上ぐらいの齢の男性で、
優しく迎えてくれたが、途中で店長が変わった。
僕は洗い場を任されていたのだが、時折、簡単な仕込みも任されていた。
だが、僕が与えられた仕事しかやらないのに激を飛ばすように、キッチンチーフは言った。
その時にキッチンチーフが僕に言ったのは、
「自分で自分の可能性を決めては駄目だ」という言葉だった。
僕はその言葉に感銘を受けた。
お皿を洗うのは、楽しい作業だった。
お皿を洗い、洗浄機に掛け、それを元あった場所に仕舞う。
皿洗い自体は単純作業なのだが、「今日はこのお皿を使った料理が多く出たな」とか、
「皿の出入りなどを見て、今日はお客さんが多いな」などと自分で仕事の愉しみを見つけながら、
仕事をした。
繁忙期には、フル回転だった。
ジョブコーチという障がい者福祉事務所の人が会社と当事者の僕の橋渡しをしてくれた。
ジョブコーチの人は、目に見える事以外にも、
恐らく多くのサポートをしてくれたに違いないと、察する。
キッチンには、僕の面倒を任されていたであろう威勢のいい岡山弁の女性がいた。
彼女は、みんなの姉貴といった雰囲気で、その人のお陰で店はいつも活気に満ちていた。
その活気に乗せられて、僕も懸命に働いた。
職場と就業支援施設の距離も近かったせいか、
僕は施設の所長さんに、仕事の帰りに施設に寄って、毎日のように僕の話を聞いて貰った。
所長さんは、仕事のガス抜きだと言い、
僕はその日あった事や他愛もない雑談などを所長さんと話した。
しかし、色々な支援を受けて働いた仕事も2年続かなかった。
僕は飲食店を辞める事となった。
会社の社員さんやジョブコーチさん、就労継続支援施設の所長さん、職員さん、
そして家族の僕への温かな見守りがあって、続けられた仕事だった。
ジョブコーチさん達支援者の人達は、僕の仕事面での落ち度を指摘したが、
恐らく本当は、僕が気付かなかった僕と店の人達との人間関係が問題になっていたのかも知れない。
そして、僕は仕事を辞めてしまった。
逢坂 純著『僕の頭の中のぷっちょ』より。

