話は戻って、その友人には感謝してはいるが、困った事もあった。
同じ精神障がいを疾病した者が集まると、
それを取り仕切る一般人がいなければ、駄目だったと今考えればそう思う。
友人は、病状が悪くなると、僕に電話で「死ね、殺す、死ね、殺す」と繰り返し詰ったのだ。
または「死にたい、今から死ぬ、今すぐ死ぬ」と僕に訴えた。
僕は彼が死にたいと言う度に、何時間でも電話に付き合った。
それで彼が死にたい気持ちが無くなったら、電話を切った。
翌日にまた彼が死にたいと電話を掛けてきたら、また何時間も電話に付き合った。
彼が気が済む迄、電話に付き合った。
嫌ならば電話を切ってしまえば、それで済む話なのだが、僕は電話を切らなかった。
それは、遠い遠い青森の田舎者の男と世間知らずの東三河に住む僕が寂しさを紛らわせる為に、
電話で繋がっていたかっただけなのかも知れない。
その友人との付き合いは10年くらい続き、
僕が青森の彼の家に一回遊びに行って、彼が僕の家に一度、遊びに来た。
彼が僕の家に遊びに来た時には、家の母親にも死にたいと泣き、
闘病生活の末、癌から生還した母に怒られていたように思う。
結局、その青森の友人とは、喧嘩別れして音信不通になっていった。
中学の頃、バスケ部だった僕はバスケ部の顧問に、
僕の事を強く言うとグシャリと潰れてしまうような心の持ち主だと言われ、
当時の僕はそんな繊細な心を持ち合わせていた少年だったらしいという事を母の口から聞かされた。
それが、青森の友人のバカ、死ね、殺す、死ぬ、などの罵詈雑言のお陰で、
随分メンタルが強くなったように思う。
メンタルが強くなったと言うより、僕がその暴言を受け入れたのだと思う。
毎日続く嘘か本当か分からない幻聴よりも、
言葉は汚かったが青森の友人のリアルな言葉の方に僕は生命力を感じ、
僕の中ではそれが確かなものに思えたのだ。
それが良い事か悪い事かは別にして。
そんな青森の友人だが、今でも僕は彼に感謝している事がある。
逢坂 純著『僕の頭の中のぷっちょ』より。

