脚本を書き続けているのは、審査員の評価を受けプロの脚本家デビューする為だったが、
NHKのラジオドラマコンクールで最終に残った後は、コンクールの結果は芳しくなかった。
もう30代半ばを過ぎていたが、それでも僕は脚本を書く事を諦めなかった。
脚本コンクールへの応募は、僕のライフワークになっていた。
そのうち、某コンクールで、ホームドラマという課題で公募が出された。
僕はそのコンクールに、統合失調症患者とその家族の愛情物語を書いた。
結果は、一次通過止まりだった。
そのコンクールで一次審査を通過したのだ。
コンクールに応募したその作品は、ある人の一言から生まれた話だった。
その人は、自分の好きな物を書け、自分の詳しい物を書きなさいと言った。
自分の好きなもの・・自分の詳しいもの・・。
自分の好きなものというのが、統合失調症というのも、可笑しな話だが、今では統合失調症を勉強し、自分を知る事が何よりも嬉しい事だった。
自分は、自分の事を書くのが一番なんじゃないのかと思った。
僕が疾病した精神障がいの病気が自分にしか書けないものなのだと思った。
作品を書く時、ある雑誌のバックナンバーを取り寄せた。
それは「統合失調症のひろば」だった。
「統合失調症のひろば」は、統合失調症の当事者や医者、その家族がそれぞれの立場から寄稿をしたコラムや対談の載っている専門誌だった。
その号のテーマは、統合失調症の性・恋愛・結婚だった。
統合失調症の当事者の性の問題は、今でこそメディアでは語り始められているが、
僕らはその話題を仲間内で家族で、話し合えているだろうか。
実際の僕はと言うと、恋愛をするのが怖かった。
逢坂 純著『僕の頭の中のぷっちょ』より。

