精神障がい者の施設で毎日、生活をしていると、やはり精神障がい者の集まりなので、職員さんに甘えが出て来てしまうようです。
ある知人の方に言われた言葉です。
確かに社会一般の世の中では、通用しない事が、施設では通用してしまうのかも知れません。
僕は就労支援B型事業所の他にも、障がい者雇用も経験しています。
障がい者雇用は飲食業だったので、初めはお昼の賄いを食べに来る調子でおいでよ、と飲食店の方に言われたものです。
そこにも、精神障がい者という甘えがあったのかも知れません。
だから、障がい者雇用で一年が経った時、始めた当初と比べると、仕事の内容が疎かになってきたと支援者の方に言われました。
初めはその言葉に僕は反発しました。
精神障がい者が一般の社会で生きていく為には支援者の方の言った事も正しかったのかもと今では思います。
精神障がい者の世の中での生き方を今一度、考え直さなければいけないのかと思いました。
『母親のうれし泣き、悲し泣き』
僕が彼女と出会ったのは、春だった。
僕は春という季節が好きだ。
春は出会いと別れの季節。
あの時は、僕は念願で入学できた高校の卒業式だった。
彼女は参列する僕を早くも涙ながらに見ていた。
彼女と会ったのは、僕が生まれてすぐの時。
病院のベッドのガラスから、彼女とその隣の男は笑顔で僕を眺めていた。
彼女は僕の母親。
制服姿で体育館に歩き入って来た僕を涙ながらに僕を見つめているのは、そう僕の母親。
反抗期はあった。
中学生の時に、朝いつまでも眠っている僕の布団を窓の外にぶん投げられたのにかちんと来た。
僕は壁を思い切り、殴った。
壁はメリメリと音を立てて、凹んだ。
母親はもっと凹んだだろう。
そんな事もあった、それも高校に入ってすぐの事だった。
今ではちょっと恥ずかしく、今ではちょっと黒歴史。
母はいつも強かった。
そんな母が泣いている。
あの時とは違ううれし涙だった。
僕もその時、うれし涙。

