僕は自分の作品などを、パソコンで打って書いています。すると、必ずと言っていい程、ある妄想が頭の中に浮かんできます。それは、この文章は本当は自分が書いたものではないのではないか、という妄想です。
僕は、頭の中に送られてきた文章を只、パソコンに打ち込んでいるだけなのではないかと、思ってしまうのです。それは昔自分で書いた作品を読み返す時にも、そう思います。
こんなの書いたっけ?と。
テレビなどを観ていると、僕の作品は形を変えて、世の中にもう出ているのではないかとも思います。
しかもその妄想は、今でも現在も進行形で考える妄想なのです。
多分、自分でこうやって、自分の症状を文字にして整理してみると、
この妄想も妄想なのだと思えます。
やはり僕には創作活動が必要なのだと、思います。
『自分が世界を動かしていたと思っていた日々』
彼は小説家だった。だったと言うのは、彼はもう年老いていて、自分が何をしているのかさえ、分からなくなっていたからだ。
今日も、その年老いた彼はタイプする。
しかし、彼には自分でもタイプした文字の意味を理解していない。
『旅に出る』、そう彼がタイプする。
すると、朝日の森から、大人になった雛鳥たちの子が、空へ飛び立つ。
『旅に出る』、と書いた彼は、その事を知らない。
『花が咲く』、と彼がタイプすると、街中には、
夏の暑さに負けない女性たちが色とりどりの夏服に身を包み、スクランブル交差点を謳歌して歩き出す。
しかし、彼は何も知らない。
彼のワンルームマンションには、パソコンと書斎机と椅子、その他には何も置かれていない。カーテンさえも引かれていない。
日の当たる壁はいつの間にか、日に焼けていた。
只、彼は孤独に耐えながら、パソコンの前に座し、穏やかな目で、パソコンをタイプする。
日が登り、空が動き、日が沈む。
その間にも、雨が降り、雨が止み、太陽が街往く人々を照り付けたとしても、彼は今までと何も変わらず、パソコンの前でタイピングを続ける。
老い耄れた彼が、増々齢を取り、タイピング
の手を止めたとしたら、世界はどうなってしまうのだろう。
唯一、彼の秘密を知っている新聞配達の少年だけが、その真実を知っている。
今日、新聞配達の少年が車に撥ねられ、死亡した。

