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僕は生きている、死に際でそう思えるだろうか?

ノストラダムスの1999年の大予言は、外れていましたよね。

結局、ノストラダムスの予言も彼は統合失調症で予言も妄想だったのかも知れないですね。

僕の自己実現の先にある、物書きになるという目標も、所詮は妄想なのかも知れません。

物書きになる人と言うのは、その言動はともかく、よく書物を読み、様々な経験を沢山し、

そしてそれが道徳的であるか無いかは別にしても素晴らしい作品を産みだす頭が自然に出来上がっているのだと言います。

だとしたら、平凡な日常を送ってきた僕は、

統合失調症という才能によって、素晴らしい作品を書いていく事が出来るのでしょうか。

そう思って、今年は創作のインプット・アウトプットをやり、作品を書いていました。

その成果が結果として出る事を祈りながら、

年末年始とを過ごしたいです。

『僕は生きている、死に際でそう思えるだろうか?』

僕は来年にはもうこの世にいない。

医者には、持って半年と言われたこの肝臓。

初めて酒を飲んだのは、中学3年生の時。

受験のストレスで、父親の焼酎を隠れて飲んだ。

大学は上京して、演劇を学んだ。仲間と一緒に酒を浴びる程飲んだ。

只、僕の酒量は、他の仲間よりも一周り多かっただけだ。

生活は聖人君子とは程遠いし、自分を聖人君子だとも思っていない。

酒もたばこも女遊びもこれ以上ない程やった。大学は無事卒業したものの、ろくに就職活動もせず、毎日バイトと演劇に夢中になっていた。

僕はその日常の中で、壁にぶち当たり、多くの仲間を失っていったし、それでも酒とたばこを毎日浴びるように飲んだ。

僕は天国に行けるのだろうか。

天国に行ける程、良い事が出来ただろうか。

そもそも自分が幸せだと思えればこの世だって、僕にとっては天国なんじゃないだろうか。

死んだら何も残らない。

その精神から魂から、何一つとして残らず、無になる。

それでいいじゃないか。

天国も地獄も無い。

この世が天国で地獄なのだ。

僕はもう死ぬ。

だから、この生きるという苦しみからも、解き放たれて無になるのだ。

さっきから、母さんが天井から僕の事をジッと見つめている。

母さんは僕を待っている。

だけどそれは僕の郷愁が見せた幻だろう。

僕は無になるのだから。

さようなら、母さんの幻影。さようなら、僕。

眠くなってきた。明日はまた目が開けられるだろうか。明後日はまだ意識があるだろうか。

僕は今、生きている。

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