知り合いの方に言われた言葉です。
毎日、一週間7日習作を書いているのだから、
面白くない習作も生まれてくるのは当然だ、と。
むしろ、面白くない習作を書く確率の方が多いのだと。
僕は毎日習作を書いています。
中には、面白く書けた習作もあるのです。
習作を書き始めた当初は、型にハマった世にも奇妙な物語的な話が多かったです。
それはそれで面白く書けてた話もあったのですが、発想の種は統合失調症の妄想染みたものだったように思います。それでもその習作を面白いと言ってくれる人もいてくれて、それはそれで良かったのだとも思います。
次に書いた習作は、統合失調症の二次症状的な作品でした。
統合失調症だから、人付き合いが出来ない、統合失調症だから、外出出来ない、統合失調症だから、恋愛出来ない、そんな自分の悩みを小説という形で気持ちを乗せて書いた習作もありました。
こんな事を言うのは恐れ多いのですが、かの太宰治や芥川龍之介は、自分の恥や私生活の内面を作品に投影して作品を書いていたそうです。
だから、僕が統合失調症になった僕の気持ちを乗せた習作もそれはそれで良かったのではないかと思います。
そして最近の習作の傾向と言うか作風と言うか、統合失調症と全く関係の無い話を書いているようです。
そしてそういう習作はあまり面白くも無いし、大して良い話ではないそうです。
知り合いの方は統合失調症は才能だと言ってくれています。
だから、僕は統合失調症にこだわって、これからも書いていくのがいいのかなと思っています。
『何割バッターか?』
僕は僕の理想を頭の中に描いてみた。
第一は昼間は大手商社のサラリーマン、だがしかしその実体は、悪の組織を牛耳る闇のボス。
いいや、間違っている。
僕はそんな事、臨んでやしない。
僕は体こそ、五体満足で生まれたが、頭の中身は、ドロドロのグチャグチャだ。
メンヘラどころの騒ぎじゃない。
そこには心の闇が潜んでいた。
僕の頭の底の底の底の方には、ね。
僕を唯一救ってくれるのは、就労継続支援事業所での内職仕事だ。
毎日毎日、一週間のうちの5日、僕は検品、組付け作業を無心でやってのける。
そこには何の邪念も無い。
邪念どころか、何の思考もそこには入る余地が無い。
不幸せか?そうでない。
その組付け作業をしている間だけ、僕は幸せの絶頂に上り詰める。
なんの悩みもその時間だけは、頭の中から、心の中から、消えてなくなってくれる。
心地の良い時間が流れている。
キーンコーンカーンコーン。
休憩のチャイムが事業所内に鳴り響く。
休憩に何をやったらいいか、分からない?
いいや、それも正しくはない。
それはそれで楽しい。
休憩時間の一服は至福の時。
一週間の禁煙期間を破って、僕は灰皿の周りに集まって、煙草を一服。
肺がんで死ぬぞ?
いいや、肺がんで死ぬ確立が増えるだけ。
煙草を吸っていなくても、肺がんになる確率は結構ある。
人生楽しく生きたもの勝ち。
だけど、やりたい事をやるだけが楽しく生きる方法でもない。
だからみんな、なろうと思えば幸せでいられる。

