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( 統合失調症の僕 )である前に( 僕 )なのだ。

最近は、人それぞれ目指す物も、欲しい物も違ってきていて、

幸せの形というものが多様化し、

人によって幸せとは?という物が変わってきています。

僕の幸せは、作家になる事です。

僕は今、自分のブログで統合失調症を題材とした原稿用紙二枚の習作を書いています。

初めは、統合失調症の僕にしか書けない物を書こうという意気込みで、

統合失調症の症状を題材として書いていたのですが、

次第に僕が書くものは、

何を書いても統合失調症の僕が書く物になるのだと言う考え方に変わっていき、

当時者の人間愛や絆や寂しさや当事者が抱える諸問題を描けていければいいな、

と思うようになってきました。

それがちゃんと描かれているかどうかは別として。

そして今僕は、僕自身がどんな物語が書けるのかと、少し楽しみになって来ています。

『( 統合失調症の僕 )である前に( 僕 )なのだ。』

嬉野は、自分にピアサポーターの認定資格が無い事で、事業所のメンバーに後ろめたい気持ちを持っていた。

嬉野は、福祉事業所『ふれあいの森』の当事者スタッフだった。

ふれあいの森の施設長は、嬉野をピアサポーターとして、統合失調症の当事者だけども、

「ふれあいの森」のスタッフとして雇用した。

その事に対して嬉野は、自分にはスタッフとしての資格があるのだろうかと悩んでいた。

施設長が嬉野に求める事はこういう事だった。

例えば、事務職に就くとして、ワードとエクセルを使いこなせる技術が必要という事になった場合、

嬉野はその資格は持っていなかったとする。

だけれども、嬉野はワードもエクセルも十分使いこなせる。

だから、嬉野はその事務職に就く事だって出来るかも知れない。

もし働いていくうちに、多くの資格が必要になったなら、その時に資格を取ればいいじゃないか、

そういう考えだった。

嬉野は当事者だから、当時者スタッフとして、何か特別な事をしなければと焦っていた。

だけれども、施設長が嬉野に求めている事はそういう事じゃないのだ。

嬉野は嬉野でいいのだ。統合失調症のスタッフの前に、嬉野鉄平という一スタッフが求められているのだ。

そこに至るまでに嬉野は幾つかの葛藤があるだろう。

でも、それでいいのだ。働くという事はそういう事なんではなかろうか。

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