僕の読書量が一万冊を超えたら、僕は立派な表現者になれているだろうか。だけども、今の僕は一冊にも満たない読書生活をしている。それは僕が頭を病んでいるからだろうか。心を病んでいるからだろうか。果たして僕はそれでも発信者になれるだろうか。表現者になれるだろうか。常に自分軸を持てと、とある成功者は本に書いてた。
僕は表現者になりたかった。
だけども、人の目を気にせず自分を通して生きていくのは、案外難しい事だと思った。
そして自分を通して成し遂げられる者は、十割のうちのほんの二割だと言う。
いや、その二割の中の二割のまた二割。
僕はそのひと握りにはなれない。
中途半端に人の目を気にして、他人からの評価を求めてしまうこの僕は、自分の好きな事をやってる割には、心は弾まずに過ごしている。そう言う時に、僕は表現者だろうか?と考える。
真の表現者が世に愛される時代はもう終わったのかも知れない。世の中は欲に塗れている。
僕はその欲の追求者にもなれていない。
表現者が表現者たる生き方はもう過去の事なのだろうか。
いや、その表現者の表現の仕方が、時代と共に変わってきたのだ。
だから僕は遅れてきたダサい表現者。
皆はサクサクとそれをやってのける。そこに他己が存在して、そして上手く収まるべきところに収まっている。
僕は遅れて来た表現者。もう追い掛けても彼らには追い付けない。

